私の心の中には、いじめの記憶が深く刻まれています。
自閉症であるわたしは人との会話、コミュニケーションをとるのが苦手で、小学校の高学年に上がるにつれて徐々にいじめられるようになりました。無視や陰口、悪口の標的となり、クラスメイトが楽しそうに笑いあう中、私に向けられるのは嘲笑でした。
小学生の輪の中では、席で静かに本を読んで過ごすことも勉強や運動ができないことも、流行りのアニメやドラマの話題についていくことができないのは同じ生命体ではないとみなされたようでした。当番をさぼったわけでも誰かを悪く言ったわけでもない、何も悪いことをしていないのに、ただ私が大多数の生徒と何か「違う」という理由で、仲間外れにされていました。
数少ない大好きな友達からの誕生日プレゼントの筆箱を男子トイレに投げ込まれたり、わざと聞こえるように悪口を言われたり、こっちを見て笑われたり、下校中、ランドセル越しに蹴られたり。こんなことが続くうちに私の心は次第に疲弊し、傷ついていきました。
こんなこと誰にも言えない、親も厳しく学校も休めない中、私は死んだように登校し授業を受けていました。いじめの痛みは、私の心に重くのしかかり、逃げ場所を失った私は、次第に第三者として映画を見ているように日常を見ていました。
スクリーンに投影されている「わたし」は、いじめられ、心を壊しながら勉強し、味のしないご飯を食べ、気を失うように眠っていました。そのころから解離性の障害に陥り、どんどん自分がバラバラになっていきました。学校に行ったはずなのに、気づいたら下校をしている、気づいたら時間が過ぎ日数が過ぎている、そんなことが毎日のように起き始めました。
そんな中でもなんとか頑張ることができたのは「中学校は学区が少し違うから小学校にいた大多数のメンバーとは違う中学校に行ける。」その思いだけでした。
ですが現実は違いました。中学校に進学すると、状況はさらに悪化しました。持ち物は壊され、上履きはゴミ箱にありました。特に、私の容姿をネタにした言葉が、心に深い傷を残しました。「あいつブスだよね。」「わかる。キモイ。」嘲笑いと共にそう言われるたびに、病状も心の状態も悪化し、第三者の目線で自分を見つめることが小学生の頃よりも増えました。
ストレスの捌け口がなくなってしまった私は、リストカットを始めました。
明確な意思をもって始めようとしたのではなく、手首を切って死のうという自殺企画からの始まりでした。つらくて悲しいどうしようもない現実から楽になるには死ぬしかないと思い、手首にカッターナイフをあてると、小さな玉のように血が出てきました。
心の中で、あれだけ痛くて苦しい思いをしてきたのに、たかがカッターの刃で切ることにためらいがあるなんて、と思ってしまいました。今考えれば、感覚が麻痺していたのだと思います。ですがそのためらい傷で、少し心が軽くなりました。
自分で自分を傷つければ少しだけ楽になる、ストレス発散になるということを覚えてしまった私は、その日からリストカットがやめられなくなりました。一時的な解放感をもたらすだけで根本的な解決に至らないその行為に依存していったのです。
次第に傷は深くなり、手首より上に、さらには足にも傷ができるようになっていたころ、毎日のように学校に向かうのが嫌で、学校に着くまでの道のりで動悸が激しくなったり、めまいがしたりと何度もパニックを起こすようになりました。
お腹が痛いから、気分が悪いから、と理由をつけて学校を休みがちになりました。ですが、それも長くはありません。厳しい親は私を無理やり学校に行かせようとしました。理由なんか理解してくれません。追い詰められた私は、誰もいない自室で首にロープをかけ首吊り自殺を図りました。その時はもう何も考えられず、気づいたら首をくくっていました。
そのあとの記憶はありません。気づいたら翌日で、ベッドの上に横になっていました。病室でもなんでもない、見慣れた自室。机の上には置手紙があり、解離性同一性障害になっていた私の中の、別人格の子が残した手紙がありました。長くて全文は書けませんが、一番心に残っているのは
「死んだらいじめっ子が喜ぶだけ。高校はここの誰も進学しないような思いっきり遠くへ行って、生きていこう。君が生きるために私たちは生まれた、一緒に生きよう。」という言葉です。
たしかに私が死んでも誰も気にしない、むしろ邪魔者がいなくなって喜ぶだろうな、と思いました。なんだか、癪に触るな、とも思いました。そして、私はひとりぼっちではなかったようで、私の心の中の人々が支えてくれると言ってくれました。
他人から見てひとりだったとしても、私は今までの短い人生のなかで一番の支えを得ることができました。
私は学生時代、助けを求めても誰も助けてくれないという経験から、人間不信に陥りました。周囲の大人たちも気づいてくれず、私の心の叫びは誰にも届きませんでした。
学校を卒業し、その周辺に近寄ることが無くなった今でも、いじめられた頃の記憶が夢に蘇ることがあります。無視される感覚、悪口を言われる声、孤独の中で苦しむ自分。それらの夢の中で、再びパニックに陥り、死にたくなる感情が湧き上がってきます。心の傷は、時が経っても癒えることがないのです。
現在、私は未だに精神科に通院しています。専門家の助けを借りて、少しずつ心の整理をしていますが、いじめの影響はまだ私の心に深く残っています。自分を受け入れること、過去を乗り越えることは容易ではありません。私は現在、忌々しいいじめの体験、記憶との決別をするべく戦っています。私の経験談が、同じように苦しむ誰かの助けになることを願っています。
いじめは決して許されるべきものではなく、私たちが声を上げて、誰かを助けるための行動を起こす必要があると強く思います。
身近にいる大人たち、特に親は子供の異変に気付いてあげてください。SOSを出せない子供も大勢います。勇気を出してSOSを出しても一度助けてもらえないとそれだけで断念する子供が多いです。そう何度も勇気は出せません。挫折の経験がとてつもなく大きい傷になるからです。どうせ無駄だ、という思いはなかなか頭から離れません。世界で自分はひとりぼっち、そう思い死んでいく子供たちにどうか手を差し伸べてください。
そして、いじめっ子たち。あなたたちは人の心を殺す犯罪者です。今は「いじめ」なんてぬるい言葉が使われていますが、行っていることは立派な犯罪です。物を壊せば器物破損、ケガをさせれば暴行、そのすべてが罪になります。未成年だから学校の中でのことだから、と胡坐をかいているといつか本当に痛い目を見ることになります。将来あなたが誰かに助けて、と言って誰が助けてくれるでしょう。「昔からああいうやつだったから天罰だ」と誰も見向きもしてくれないでしょう。心を入れ替えるのであれば、今のうちです。
いじめられているみんな、毎日絶えることに疲れたら、死んでしまう前に相談をしてください。身近な人が誰も話を聞いてくれない場合は、NPO法人や行政に相談窓口があります。どうか死んでしまう前に、勇気を出して相談してみてください。
私たち一人一人が、温かい心で周囲を見守り、支え合う社会を築いていくことが、未来をより良いものにする第一歩なのだと信じています。 |